研究内容

水(H2O)を分解して水素ガス(H2)と酸素ガス(O2)を生成する過程では238kJ/molのエネルギーを貯蓄することができる。 逆反応である水素ガス(H2)と酸素ガス(O2)の燃焼過程を利用することにより、熱エネルギーや電気的エネルギーを取り出すことが可能である。 その代表例が燃料電池で走行する車である。しかも、その燃焼反応では地球温暖化ガスとして問題視される二酸化炭素(CO2)の放出を伴わない。 そのため、水素エネルギーは人類の未来社会を支える次世代型クリーンエネルギーとして重要視されている。

しかしながら、(i)水からの水素ガス生成反応、及び(ii)水からの酸素ガス生成反応は、いずれも比較的遅い反応に分類され、反応の遂行には触媒の存在が必要不可欠である。 しかし、残念なことに、我々人類は依然真に実用的な分子性触媒の開発に成功していない。

我々の研究グループでは、この重要な課題に着目して、金属多核錯体を触媒として利用するための基礎及び応用研究を重点的に展開している(分子内に複数の金属イオンを含むものを金属多核錯体と総称する)。 それに加え、その応用例として、太陽光エネルギー(可視光線)を利用した水の分解反応の研究も長年推進している。 さらに水からの酸素発生反応や、酸素還元反応、アルコール酸化反応などの燃料電池の電極触媒に関する研究にも着手している。

水の可視光完全分解の模式図と当研究室の研究成果

水の可視光完全分解の模式図と当研究室の研究成果

人工的な系とは異なり、生体系には実に有効な錯体触媒が多数存在する(白金コロイドなどの金属超微粒子を固体触媒と呼ぶのに対し、 金属イオンを含み、かつ、分子に分類されるものを錯体触媒と呼ぶ)。

植物根に存在するバクテリア中では本来反応不活性である窒素ガス(N2)が常温常圧というマイルドな条件の下、アンモニアへ(NH3)と変換されている。 そこでは、Fe7Moを含む金属多核錯体が触媒として作用することが知られている。しかし、その反応機構は依然未解明のままであることに注意して欲しい。 光合成の酸素発生サイトにはマンガン核を四つ有する金属多核錯体が存在し、触媒として働いている。 プロトン(H+)と電子(e-)からの水素ガス生成過程やその逆反応の触媒としては、FeFeやFeNiの二核錯体が機能していることが知られている。 現在、これら金属酵素の活性中心に着目した触媒開発も盛んに行われているが、依然有効打は得られていない。

ここで注目すべき事実は、何億年もの歳月を費やして自然界が獲得してきた高機能触媒の非常に多くが金属錯体に他ならない点である。 固体触媒に比べ、金属錯体においては反応点となる金属イオンの電子状態、立体環境、ならびに反応性をより合理的に制御することが可能である。 その点で、錯体触媒は無限の可能性を秘めた系と言える。

生体系の代表的な金属錯体含有酵素の活性中心

生体系の代表的な金属錯体含有酵素の活性中心

これまでの研究成果を簡単に紹介する。

水からの水素ガス生成触媒反応においては、分子内に比較的強い金属-金属相互作用を持つ白金二核錯体が有効であることを見出している(Sakai et al., J. Mol. Catal., 1993)。
また、我々はこれらの白金多核及び単核錯体が分解せずに水素を発生させることの証明にも成功している(Yamauchi, Masaoka, Sakai, J. Am. Chem. Soc., 2009)。
他の遷移金属錯体を同様の実験条件下で適用しても、一般に活性が見られるものは非常に少ない。これは白金原子と水素原子の親和性が最も好都合であることに起因している。
我々の研究グループでは多種多様な新規白金単核及び多核錯体を合成し、その水素生成触媒機能を評価し、構造-活性相関の解明を試みてきた。構造-活性相関を明らかにすることができれば、より有効な触媒の設計が可能となる。

さらに、この構造-活性相関の研究と併行して、我々は光捕集部位としての金属錯体と水素発生触媒としての金属錯体を単一分子中に融合させた「光水素発生デバイス」の構築を試みてきた。 その結果、長年の苦労が実り、世界初の「光水素発生デバイス」の合成と同定、およびその光水素発生触媒能の評価に成功し、報告している(Ozawa, Haga, Sakai, J. Am. Chem. Soc., 2006)。
これはまさに、配位子によって構造や物性の詳細な制御が可能な錯体ならではのアプローチといえる。また、単核で光増感能と水素発生触媒能を併せ持つ白金錯体も発見している(Okazaki, Masaoka, Sakai, Dalton Trans., 2009)。

最近では、白金以外の金属、特にクラーク数が大きく安価な金属を用いた水素発生触媒の開発にも着手している。例えば、鉄は人類にとって最も身近な金属の一つであり、生体系の水素発生触媒(ヒドロゲナーゼ)中にも含まれているが、 その一方でバルクの鉄の水素発生触媒能は非常に低いことが知られており、鉄錯体を用いた水からの触媒的水素発生の報告例も非常に少ない。 我々はこの鉄錯体を用いて水からの水素発生を行うことにも成功している(Yamaguchi, Masaoka, Sakai, Chem. Lett., 2009)。

一方、水からの酸素発生反応にも精力的に取り組んでいる。酸素発生反応は4電子反応であるため水素発生側よりも活性化障壁が高く困難な反応と言えるが、水の完全分解を達成するためには不可欠な反応である。 この反応の触媒としては従来、多電子の授受に対して効果的に働くと期待される多核錯体がより高い触媒活性を有するものだと信じられてきた。 しかし、我々はこの常識を覆し、非常に高い触媒活性を有するルテニウム単核錯体を見出している(Masaoka, Sakai, Chem. Lett., 2009)。

このように、金属多核錯体の研究では、基礎から応用に至るまで幅広く、依然重要な研究課題が残されている。 我々のグループでは、「多核錯体」、「多電子過程」、「水素エネルギー」、「太陽光エネルギー変換」、「燃料電池」などのキーワードを重視し、研究を推進している。

この他、金属錯体には医薬での応用が期待されている化合物もあり、それに関連する研究も企業との共同研究を進めている。 白金制癌剤の研究開発はその一例である。最近の研究テーマを以下に示す。

  • 水からの水素発生触媒機能を有する金属多核錯体の合成と機能評価
  • 新規光水素発生デバイスの開発と機能評価
  • DFT計算による水素発生メカニズムの探求と分子設計への応用
  • 水からの酸素発生触媒機能を有する金属単核および多核錯体の開発
  • 電気化学的手法による各種錯体の電極触媒能の評価
  • 燃料電池における酸素還元用の金属多核錯体触媒の合成と評価
  • アルコール型燃料電池アノード触媒の開発と活性評価
  • 人工ペプチドを側鎖に有する各種金属錯体の合成と機能
  • 新規制癌剤としての白金錯体の開発と薬理効果
  • 二核錯体を基盤とした新規白金一次元伝導体の構築と物性評価