九州大学 理学部化学科/大学院理学府化学専攻/大学院理学研究院化学部門
研究紹介
溶液内分子の電子状態理論を用いた定量的pKa予測手法の開発
酸解離定数(pKa)は分子のプロトン解離の傾向を定める値であり、水素結合の有無によって構造や性質が変化するタンパク質やDNAといった生体高分子の解析において重要な指標の一つです。 この値は実験的には核磁気共鳴法(NMR法)や中性子回折法(ND法)によって求めることができます。 しかし、前者においては得られるプロトンのピークの帰属が困難なこと、後者については解析のために大きなサイズの結晶が必要であり生成が困難であることが問題点として挙げられます。 そのため近年では、理論的にこの値を予測する研究が注目を集めてきました。本物の結晶を必要とせず、計算によってのみpKa値を得られるのが理論的アプローチの強みです。 ところが、水溶液中のプロトンの状態が厳密にはわからないこともあり、実際には定量性を持たせることは困難な現状もあります。
そこで本研究では、熱力学サイクルに基づく理論的なpKa値の算出法をもとにした、線形性を用いるアプローチによる定量的なpKa予測のための手法開発を行いました。 筑波大の松井らが行ったPCM法を用いての線形フィッティングによるpKa予測のアプローチをもとにすることで、プロトンの状態を厳密に取り扱うことを回避し、定量性の確保を実現しています。 また、本研究では溶媒効果を3D-RISM法を用いて取り込むことでより厳密な分子間相互作用を反映させ、計算精度の向上を達成しました。
糖質結合モジュールの糖鎖認識メカニズム及び結合サイトにあるイオン種依存性
生体内で起こる最も重要な化学過程の一つにタンパク質の分子認識があります。 これはタンパク質があるリガンドと選択的・特異的に結合する現象であり,酵素の基質認識がその代表的な例として挙げられます。 分子認識の選択性を特徴付けるのは,タンパク質とリガンドとの直接的な相互作用だけではありません。 周りに無数に存在する水分子との相互作用も同じくらい重要な役割を果たしています。
当研究室では,タンパク質の分子認識の理論解析に分子動力学シミュレーションと3D-RISM理論の2つを用いたアプローチを行っています。 タンパク質とリガンドの構造・配置・相互作用解析には分子動力学シミュレーションを,水分子の分布・相互作用の解析には3D-RISM理論を用います。 3D-RISM理論は液体の積分方程式理論の一つであり,無数にある水分子を統計力学に基づいて取り扱うことが可能となります。 本研究ではこの手法を用いて,糖質結合モジュールファミリー36(CBM36)と呼ばれるタンパク質の糖鎖(多糖類)認識の分子論的メカニズムの解明,特に結合サイトにある金属イオンの糖鎖認識における役割の解明を目指して研究を行いました。
混合溶媒中におけるグリシンのプロトン移動反応
プロトン移動反応は基礎的な化学反応の一つであり,溶媒の効果を強く受けることが知られています。その一つとしてアミノ酸の分子内プロトン移動が挙げられます。 アミノ酸は,アミノ基とカルボキシル基を持つので,水などの極性溶媒中では双性イオン型を,極性の低い溶媒中では中性型の構造を取ります。 しかし,このアミノ酸の混合溶媒中での構造や,プロトン移動反応のプロファイルについて詳しい報告はありません。
そこで本研究では,溶質-溶媒系に対応できるRISM-SCF法を用いて計算しグリシンを例にとり,水・アセトニトリル混合溶媒中での分子内プロトン移動反応のプロファイル,および溶媒効果の分子論的理解を目指した理論的研究を行いました。 このRISM-SCF法を用いると,水素結合に代表される溶媒分子の分子性に由来する相互作用を取り込むことができ,任意の混合比の混合溶媒を非経験的に扱うことが出来きます。
新しい相対論的分子軌道法の開発
ランタノイドなどの重い分子を含む分子は発光素子用材料などに広く利用されています。 波長や輝度の制御をするために高精度計算によって詳細な電子構造を得ることが有用ですが,このような系を取り扱うには相対論効果を取り入れる必要があります。
相対論効果を考慮するために必要な計算コストは非常に膨大になるため適用可能な系のサイズが制限されてしまいます。 そこで,計算効率を向上させるためのアルゴリズムを開発することにより,計算精度を保ったまま計算コストを下げることができます。 それによってより大きな系を計算することが可能となります。本研究では高精度な計算手法である相対論的GMC-QDPTを提案し,遷移金属錯体などの大きな系を計算することを可能としました。
リン含有ポルフィリンの芳香族性と励起スペクトル
ポルフィリンは豊富な吸収放射特性をもつ大環状芳香族化合物であり,生体内で重要な役割を担う分子の基本骨格です。その特性から分子素子や機能性材料など様々なものに利用されます。 このため理論・実験の両面で多くの研究がなされており,その物性の制御が期待されています。本研究では,リンを含むポルフィリンを対象として理論計算により 構造・芳香族性・励起スペクトルに対するリン置換効果を評価しました。
特にフリーベースのポルフィリンの平面構造と高い芳香族性,18π共役系がリン置換によってどのように変化するか,また励起スペクトルの変化とその違いの要因を明らかにします。
クマリン誘導体の励起状態
実際の化学反応は気相中だけではなく溶媒中でも起こります。このため溶媒の存在が大きな影響を与えると考えられるような系を対象とした理論計算を行う場合には,溶媒による効果を取り込むことが必須となります。 しかし溶液中のすべての電子を考慮に入れた計算を行うことは,計算コストの面から困難であり,効率的な溶媒のモデル化が必要となります。本研究では溶媒モデルとしてQM/MM MD法を用いて,7-アミノクマリン誘導体の ひとつであるC120を対象として,電子スペクトルに及ぼす溶媒効果の研究を行いました。
アセン類の基底状態のラジカル性
アセン類は複数のベンゼン環が縮環した物質であり,その中でもオリゴアセンやシクラセンは,有機半導体や記憶素子としての応用が期待されています。 これらはカーボンナノチューブの一部と捉えることもでき,電子状態についての知見を得ることが今後の発展には重要となってきます。 本研究では基底状態の持つジラジカル性に着目し,実験では合成することのできない環の数の大きな分子に至るまで系統的に計算を行い,それらのラジカル性について評価しました。